国難のさなか
今は武漢肺炎(新型コロナウイルス)という国難の真っただ中にいる日本ですが
あの忌まわしい東日本大震災2011年3月11日から丸9年となりました
震災を受けて現地の方々は困難の日々がスタートしました
東京も生活物資、水やガソリンの不足
振り返ると今の武漢肺炎(新型コロナウイルス)は目に見えない敵との戦いですが
まだ、東日本大震災は目に見える、わかりやすい面はありました
仕事でも個人でもそれぞれ国民一人一人が
歯を食いしばりながら
自分たちができる精一杯のことを考えて
完璧ではなかったかもしれません
まだまだ仮設住宅で生活している人も居て
完全には復興していないという方も沢山おりますが
必死に助け合って、ここまで乗り越えてきたのではないかと思うわけです
私個人も
仕事面でも、被災地にも沢山のお仲間がおりましたので
その方々への支援ということで
自ら義援金捻出
労働力の提供
支援のために東北の施設を利用
震災でお客が減ったホテルに東京からお客を斡旋紹介
できる限りの支援を行ってきました
2011年6月12日
その一環で
急ぎ東京で仕事仲間から集めた義援金約100万円ほどを
震災から3か月後の6月に
仙台まで陸路、東北のお仲間へ届けにいきました
高速道路も開通したばかりで
車輛もほとんど走行していないようなタイミングでした
1日も早く、キャッシュを届けることが一番喜んでいただけると思ったからです
その際、あまりの悲惨さに写真を撮るのも憚られるような気持ちになりましたが
数枚だけ、東京の仲間たちに現地の状況を伝えるために撮影したのが
以下の画像です
閖上地区
義援金を手渡した時、相手の目から涙が溢れてきて
こちらも泣きながら、力強く握手を交わしたのが
昨日のように思い出されます
2012年3月11日
復興支援の旅を企画して10名ほどで訪問しました
1年経っているのにまだ瓦礫など放置されているのが
いたるところで目につきました
一年経っているのに
まだこのような状態なのか・・・と
愕然としました
ちょうど1年後の3月11日だったため
慰霊祭が執り行われるということで
献花と焼香をさせていただきました
あらためて
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします
足を運ぼう
将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え
警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し
気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的として
2019年にオープンしました
まとめ
来年で10年となる東日本大震災を
これからも忘れることなく
それぞれの胸に刻んでいただければと思い
今回は記事にした次第です
今もなお、震災からの傷が癒えず苦しんでいらっしゃる方々も
多数おられると思います
地方、とりわけ中小零細企業や個人商店、飲食店
同時に個々人の暮らし向きが本当に心配されます
しかしながら
このようなことを言うと怒られるかもしれませんが
あえて言わせていただきます
日本の歴史を振り返って
今まで蒙古襲来や明治維新などの動乱期
さまざま国難と呼ばれるピンチを乗り越えてきた日本です
その中で最大のピンチだったのは
やはり1945年の終戦時期だったのではないでしょうか?
私は戦争をしらない世代なので、単純に比較することはできませんが
当時の状況や大変さに比べれば
大した事ではないのではないかとも思います
東京を空襲で焼き尽くされたわけでもないですし、原爆を投下されたわけでもありませんから
何が言いたいかというと、その1945年のピンチを乗り越えることができたわけですから
日本人がしっかりと一つになって知恵を出し合い、協力することができれば
今の困難、国難も乗り越えられないことはないと信じたいのです
後だしジャンケンのように批判するだけなら子供でもできるんです
自分自身、批判するだけの評論家やコメンテーターのような
国民にだけはならないようにしたいと切に思います
皆様はいかが考えるでしょうか?
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