【長崎】軍艦島上陸

 

 

ブラックダイヤモンド

今回は、こちらのツアーを利用

大人3600円

東京から予約を入れていった

天候や波の高さによっては上陸できない可能性があることを

念を押された

 

軍艦島』は長崎県長崎市高島町端島の俗称。
戦艦「土佐」に島影が似ていることからそう呼ばれるようになったと言われています。
野母半島の北西、長崎港から約19キロの海上にある、小さな半人工島です。
かつては炭鉱の町として栄え、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきましたが、
時代の流れとともに昭和49年に閉山。軍艦島は伝説を残したまま無人島となりました。
軍艦島クルーズでは、高島・軍艦島を見学、上陸できるクルーズを運営しています。

 

www.gunkanjima-cruise.jp

 

チェックイン

 

こちらがチェックイン場所

 受付を済ませると

ツアー参加者の証となる首からぶらさげるタイプの

参加証を渡される

 

 

 そして所定の乗船場所に移動して

いざ、出発

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どんどん軍鹿島が近づいてくる

 

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船上から見ても迫力が伝わってくる

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いざ、上陸

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端島軍艦島

 

端島(はしま)は
長崎県長崎市にある島である

明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え
1960年代には東京以上の人口密度を有していた

しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは無人島である

軍艦島の通称で知られている

「羽島」とも書いていた

日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある

2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により
軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された

 

 

 

日本の近代化における役割

日本の近代化と長崎の造船・石炭産業

江戸幕府は列強と肩を並べるべく長崎海軍伝習所を設立。それにともなって船の修理や建造を行う長崎製鉄所が建設されました。また幕末の長崎港では、安政の開国によって外国船の入港が増加。その燃料として石炭の需要が急速に高まりました。日本の近代化への道のりは、造船業と石炭産業の発展とともにあったのです。

日本の石炭産業を牽引した高島
 長崎港の開港を契機に、蒸気船の燃料として石炭需要が増大したことから、1868(慶応4)年、佐賀藩とグラバー商会との共同出資により、高島炭鉱開発が開始されました。外国人技師を採用し、我が国初の蒸気機関を動力とする捲揚機や排水ポンプを設置した竪坑は、1869(明治2)年4月、深さ43mで着炭し、北渓井坑と命名されました。
 1871 (明治4) 年に廃藩置県佐賀藩が廃止された後、1874(明治7)年には炭坑の経営は明治政府の管轄となりました。その後、後藤象二郎に払い下げられ、1876(明治9)年まで稼働しましたが、海水の流入により廃坑となりました。
 北渓井坑は、我が国で初めて外国資本と外国技術が積極的に導入された洋式炭坑であり、この地で導入された石炭生産技術は、その後、端島炭坑をはじめ筑豊や三池炭鉱などに伝わり、我が国の炭坑開発の発展につながっていきました。

 

そして端島
 高島で日本最初の蒸気機関による竪坑である高島炭坑(北渓井坑)が誕生し、日本の炭鉱の近代化の先駆けとなった技術は、近接する端島炭坑に引き継がれていきます。端島の開発により発展された技術は、明治前期までの極めて短期間でなされた西洋の技術・機械の導入による日本独自の石炭鉱業の基盤づくりに大きく貢献するとともに、産出された良質な石炭は製鉄用原料炭として八幡製鉄所に供給されるなど、製鉄・製鋼・造船の分野での近代化を支えていきます。

 

gunkanjima-nagasaki.jp

 







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