徳川家康が最も恐れた男
こんなキャッチフレーズがある
これは大抵、真田幸村のことを指すのだが
いやいや調べてみると
家康が最も恐れた男と呼ばれる人が沢山存在しました
信長や秀吉は別として
これらの方々もまた
最も恐れた男(候補)らしいです
伊達政宗
最上義光
上杉景勝
直江兼続
武田信玄
前田利長
福島正則
加藤清正
石田三成
黒田官兵衛(如水)
宇喜多秀家
毛利輝元
小早川隆景
長宗我部元親
島津義弘
軽井沢に用事があったので
寄り道
赤い甲冑カッコいいですね
赤備えといえば、武田軍(後に伊井軍)も有名ですが
真田の方が六連銭(六文銭)が映えます
六連銭(ろくれんせん)
真田家の家紋として名高く
六文銭とも呼ばれますが
これは仏教説話の六連銭に由来する家紋です
銭六文を死者の棺に入れて六地蔵に供える風習にのっとり
不惜身命を唱える武士にとってふさわしい旗印でした
東信濃の古代以来の豪族滋野(海野)氏の代表家紋であり
その流れをくむとしている真田氏もこれを用いました
最後は家康にやられちゃうんですが
真田幸村の生きざまってやっぱりカッコいいというか
憧れてしまうところはありますね
歴史にたら、ればはありませんが
もしも大坂の陣で、真田(豊臣家)が家康に勝利していたら
その後は、どうなっていたのでしょうか?
豊臣の世が続いたのでしょうか?
今頃、首都は東京ではなく大阪だったのでしょうか?
関西弁が標準語となっていたのでしょうか?
それとも戦国時代に逆戻りしていたのでしょうか?
色々と想像してしまいます
大河真田丸
トライアングルがなんとも絶妙でした
真田 信繁
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将
真田昌幸の次男
通称は左衛門佐で
輩行名は源二郎(源次郎)
真田 幸村の名で広く知られている
豊臣方の武将として大坂夏の陣において
徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が
江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され
「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評される
後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され
さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると
真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで
庶民にも広く知られる存在となった