せごどんは善か悪か
西郷どんほど
評価が難しい偉人も珍しい
一般的な西郷評は、維新三傑の一人として
明治維新の立役者であり
人間の器が大きく
敬天愛人の人というイメージが強い
敬天愛人
「敬天愛人」とは
「けいてんあいじん」と読み
「天を敬い、人を愛する」という意味
「敬天」の「天」とは空というより
「大自然の力」や森羅万象のように「この世界にあるすべてのこと」
時には「神」「おおいなるもの」のことだと解釈される
「敬天愛人」という言葉は
中国の清の時代の字典「康煕字典(こうきじてん)」(1716年成立)の
編纂を命じた康煕帝が額に「敬天愛人」と書き
キリスト教に与えたのが初めて「敬天愛人」が使われた起源だとされる
その西郷は数々の心に残る言葉を発し人々を勇気づけたり励ましたのですが
そうした西郷の遺訓を戊辰戦争で西郷の恩情に
感銘を受けた旧庄内藩の人々がまとめたのが
『南洲遺訓』(なんしゅういくん)という書である
その中の遺訓41条追加2条に
「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己をもって終始せよ」
これが敬天愛人の出典と言われている
アンチ西郷
一方
坂本龍馬暗殺の黒幕ではないか?
西郷札って何よ?
そもそも西郷は過大評価されすぎ
などなど評価が分かれたり、アンチが多いのも
せごどんの特徴である
西郷札(さいごうさつ)とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である。
概要
1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。寒冷紗を2枚合わせて、その芯に紙を挟み堅固にしたものであった。通用期間三年の不換紙幣であった。十円(淡黄色)・五円(鼠色)・一円(浅黄)・五十銭(淡黄)・二十銭(黄色)・十銭(藍色)の六種が存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。
西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された。
西郷どんの末裔
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わたしは、西田敏行派かな
今観ると、薩摩弁がきっついですが、めちゃくちゃ面白い
西田敏行&鹿賀丈史のコンビは超えられなかったね