マリオット台北は立地はよくないが、それを除けばトータル的にはよいホテル
それはなぜか
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「台湾に残る日本を訪ねて」【ザ・ファクト REPORT#6】
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台湾の歴史
台湾は
氷河期時代以前は中国大陸と陸続きであった
漢人はもとより
マレー・ポリネシア系の人々など他民族の島国だった
この台湾は、1544年にポルトガルによって発見
緑に覆われた美しい台湾島に感動したポルトガル船員により
「イリヤ・フォルモサ(美麗島)」と命名された
16世紀の明の時代には
近くを航行する船などの寄港地としたり
倭寇(わこう)という朝鮮半島や
中国大陸の一部、東アジア諸国で活動した海賊などの根拠地とされたり
かなり治安は悪かった
清の時代の頃には、漢民族や日本人などの移住が始まった
この頃から中国に組み入れられたという見方もありますが
はじめて台湾を領有としたのは、オランダの東インド会社であった
オランダ統治時代
航海時代は
ヨーロッパ各国が世界中を旅するようになり植民地化を進めた時代
1624年にオランダ東インド会社は
大員(現台南市周辺)を弾圧しゼーランディア城という要塞を築いた
1626年には、スペインも台湾北部に侵攻し要塞を建てるなどしたが
すでにスペインの力は弱まっており、オランダが追い出した
オランダは、労働者として中国から漢民族を連れてきて開拓を進めた
1644年に中国では明朝が滅亡し
生き残った鄭成功(ていせいこう)が明朝の威信をかけて
台湾にいるオランダを1662年に制圧
この時に鄭成功は、台湾を「東都」と改名
清国にとって台湾は「化外の地」として
まったく興味のない地で放置状態であった
フランスが清国に侵略してくるようになり
1884年に清仏戦争が勃発した
ベトナム支配権を求めての争いで
フランスは台湾に侵攻
これに清国は慌て
1885年に福建省から切り離し台湾省を設置した
本格的に開発が行われましたが
海賊たちや貧窮民が多く難航し
マラリアやデング熱
台風による水害などあり安定しなかった
日本統治時代
1894年に日清戦争が勃発
清国に勝利し
1895年に下関で日清講話条約が締結され
清国から台湾を割譲された
しかし、統治は受け入れられず
割譲反対を訴える漢人により台湾民主国の建国が宣言される
日本軍は既に、海軍大将の樺山資紀を総督に台湾総督府を置いていた
約5年続いた紛争により
1万以上の台湾人が戦死や虐殺により多数の死者がでた
しかし、この問題が解決すると日本による台湾の植民地経営がなされた
日本は他の外国に自国の力を見せつけるべく
台湾のインフラ整備がおこなわれた
交通網や電気、上下水道から教育の普及まで力を注ぎこみ
就学率は90%にも及んでいます
しかも、ダム建設なども行われ工業化に成功し、経済も安定していった
このときの、日本の統治は今までの植民地搾取とは違って善良なもので
これが現在の親日に繋っている
日本の統治によって
日本語を話すことができるおじいさん、おばあさん世代を
トーサン世代という
戦後
1945年の第二次世界大戦で
日本軍は敗北し台湾から撤退
同じ漢民族の支配になると喜んだ台湾人の思惑は外れた
日本は台湾を世界的にも高い水準の国にしており
中国は大変劣っており、水道すら知らなかった
犬(日本人)が去ったら、豚(中国人)が来たと
中国人は台湾人に、馬鹿にされ
戦争後にやってきた外省人と呼ばれるシナ人と台湾人の間に軋轢が生じ
抗議運動の後に武力闘争に発展した
そして、外省人が台湾人約3万人を虐殺したといわれる
二・二八事件がおこる
今でも台湾人の間では
「アメリカは日本には原爆を落とし、台湾には蒋介石を落とした」と言われることがある
蒋介石とは、中国共産党を嫌って台湾に逃れてきた人物で
彼によって敷かれた戒厳令は
1987年まで継続し台湾人を苦しめた
中国の行動から反中心もあって親日感情につながっている面もある
「植民地」といっても
欧米列強の搾り取るだけ搾り取るの植民地政策とは
あきらかに違う
ある意味、本土以上に資金も人材も投下して
その国の発展に寄与する日本スタイルの統治を
恨むどころか感謝していただいているのが
台湾や東南アジア各国
「恨」の文化のかの国とはそこが違うから